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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)5867号 判決

原告 吉永多賀誠

被告 榊原八千代 外八名

主文

一、被告榊原八千代は原告に対し金六六九、〇〇〇円及びこれに対する昭和三〇年三月二五日以降完済に至る迄年五分の金員を榊原義郎からその相続人榊原八千代、同義恵、同達郎、同剛が相続した財産の存する限度において支払え。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用中、原告と被告榊原八千代との間に生じた分はこれを二分し、各その一を負担することとし、原告とその余の被告等との間に生じた分は原告の負担とする。

四、この判決は一項に限り原告において金二〇万円の担保を供するときは仮に執行できる。

事実

第一、原告の申立

(主たる請求)

一、それぞれ原告に対し被告榊原八千代は別紙物件目録記載の建物につき同目録第一記載の、被告竹林為助は同建物につき同目録第二記載の各登記の各抹消登記手続をせよ。

二、それぞれ原告に対し被告森下製薬株式会社、同岩谷大、同中西文雄、同菊本聰、同武井広子、同佐藤清二、同若林達夫は前項の建物を明渡せ。

三、被告森下製薬株式会社は原告に対し昭和三〇年一二月一日から前一項の建物明渡済に至るまで一ケ月金三万円の割合による金員を支払え。

四、訴訟費用は被告等の負担とする。

五、前二、三項については仮執行の宣言を求める。

(予備的請求)

被告榊原八千代は原告に対し金四〇〇万円とこれに対する昭和三〇年三月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は同被告の負担とする。

仮執行の宣言を求める。

第二、被告等の申立

原告の請求を何れも棄却する。

第三、原告の主張

(主たる請求原因)

(一)  訴外安来広一(以下安来という)は東京地方裁判所昭和三一年(フ)第三六九号破産申立事件につき昭和三一年五月二二日破産の決定を受けて原告がその破産管財人に選任されたものである。

(二)  もともと別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という)は安来の所有するものである。

(三)  ところが本件建物には別紙物件目録第一、第二の各登記(以下第一、第二の各登記という)が登載されている。

(四)1  しかしながら第一の各登記は安来が訴外田代誠助から本件建物に抵当権を設定した上で新たに金二〇〇万円を貸与すると欺かれその趣旨の下に登記手続をするために自己の印鑑を田代に預けたところ同人に於て右印鑑を冒用して無権限で第一の各登記手続をしたものであり、第一の各登記は安来の意思に基かないでされたものであるから違法な手続による登記として無効である。

2  右各登記は実体面から見ても実体関係に符合せず無効というべきである。

イ 安来は亡榊原義郎との間に第一の各登記の登記原因とされる各契約を諦結したことはない。

ロ 仮に右両者間に右各契約が成立したとするも安来は右契約締結当時に亡榊原義郎に対しては何らの債務を負担していなかつたものであるから右各契約は無効である。

ハ 仮に安来が義郎に対し金一、六七五、〇〇〇円の債務があつたとしても実際の債務額を越える金二〇〇万円を被担保債権とし登記した第一の抵当権設定登記は無効である。

ニ 本件建物の昭和三〇年一月当時の価格は金四〇〇万円を下らないのにこれを僅かに金一五七、〇〇〇円の債権の代物弁済とすべき目的でなした代物弁済の予約は公序良俗に反するから無効である。従つて第一の登記中代物弁済の予約による所有権移転請求権保全の仮登記は無効である。

(五)イ  第一の各登記が無効であるとすれば、第二の各登記は第一の各登記が有効になされたことを前提とするから無効である。

ロ  第一の各登記が有効であるとしても

(1)  第二の各登記は実体的権利変動を欠くから無効である。

(2)  仮に第二の各登記が中間登記を省略する趣旨のもとになされたものとしても、亡榊原義郎が代物弁済予約完結権を行使したことによる法律効果として債権抵当権、代物弁済上の権利は何れも消滅したものというべきであるから昭和三〇年三月二五日右義郎から被告竹林に対し債権抵当権並びに代物弁済の予約上の権利の譲渡がなされたものとして経由された第二の各登記は何れも既に消滅した権利が存続するものとしてなされたものであつて実体関係に符合せず無効である。

(3)  第二の各登記は別紙物件目録第二の(ハ)に掲げるように被告竹林に於て昭和三〇年三月一五日代物弁済契約による同被告のための所有権取得登記を経由しているけれどもこれと同目録第二の(イ)、(ロ)に掲げる各登記と対照すると(イ)、(ロ)の登記では同被告が抵当権並に代物弁済予約上の権利を亡義郎から譲渡を受けたのは同年三月二五日と掲記されているので代物弁済予約上の権利を取得する前に代物弁済の予約の完結権を行使したことになり、日時の点で前後矛盾し事実に符合しない登記というのほかなく無効である。

(六)  被告森下製薬株式会社(以下被告会社という)、同岩谷大、同中西文雄、同菊本聰、同武井広子、同佐藤清二、同若林達夫は何れも正当権原なくして本件建物を各占有している。

(七)  そして被告会社の昭和三〇年一二月一日以降の本件建物の不法占有により破産財団は現在に至る迄一ケ月金三万円の割合による損害を蒙つている。

(八)  よつて原告は各被告に対し(第一の各登記の登記名義人である榊原義郎は訴訟中死亡し相続人同八千代、義恵、達郎、剛が限定相続したのでその相続財産管理人たる被告榊原八千代に対して第一の各登記の抹消は求める)第一項掲記の如き主たる請求に及んだ次第である。

(予備的請求原因)

仮に主たる請求が認容されない場合には、予備的に被告榊原八千代に対し次の請求をする。

(一)  原告は別紙目録第一の各登記の登記原因である安来と亡榊原義郎間の

1 昭和三〇年一月二一日附債権額二〇〇万円、弁済期同年二月二〇日、利息年一割五分、同支払期毎月末日払、特約期限後の損害金は一〇〇円につき一日金八銭二厘の割合にて支払う旨の債権を担保するため本件建物につきなされた抵当権設定契約。

2 同三〇年一月二一日附右抵当債務を期限に弁済しないときは本件建物を代物弁済として所有権を移転する旨の代物弁済の予約。

3 同日附存続期間三年、賃料一ケ月金二千円の約旨の下に本件建物につきなされた賃貸借契約。

を何れも破産法第七二条第一号に基き昭和三二年五月二二日本件口頭弁論期日に於てこれを否認する。

(二)  その理由は次のとおりである。

1 安来は右契約当時本件建物を除いては何ら資産を有していなかつた。

2 安来は右契約当時

(イ) 被告会社に対しては金五〇〇万円を限度とする保証債務を、

(ロ) 訴外株式会社船越商店に対しては金一三六一、七六二円の約束手形金債務を

(ハ) 訴外有限会社ミヨシ薬品商会に対しては金七三四、六八九円の約束手形金債務を、

負担していたほか他にも若干の債務があつた。

3 又安来は訴外三省薬品株式会社の代表取締役であり、安来の前項債務はすべて同会社の債務を担保するために負担したものであり、同会社が経済的に破綻すれば安来も又破綻する密接不離の関係にあつたところ、同会社は昭和三〇年一月一七日合計金一五四八、〇〇〇円の不渡手形を出し、支払を停止するに至つた。

4 ところで安来は破産債権者を害することを知りながら、亡榊原義郎との間に昭和三〇年一月二一日前(一)項掲記の各契約を結んだものである。

(三)  しかしながら本件建物は亡義郎から現在被告竹林に譲渡されており、被告竹林はその取得に際しては前述の如き否認の原因を知つていたとはいえないので原告は右否認権の行使を以て転得者たる同被告に対抗することはできない。それで亡義郎の相続財産管理人たる被告榊原に対して本件建物の現在の価格四〇〇万円の賠償を求める。

(被告等の主張に対する陳述)

被告榊原の主張は全部否認する。

被告竹林の主張中(三)は否認する。(四)は不知。(五)は登記の点は認めるがその余は不知。

被告会社岩谷、中西、菊本、武井、佐藤、若林の主張中二は不知。

第四、被告榊原の主張

原告が主たる請求原因として主張する事実中

(一)は認める。

(二)は本件建物が亡榊原義郎の取得前安来の所有であつたことは認める。

(三)は認める。

(四)は全部否認する。

原告が予備的請求原因として主張する事実中

(二)の1は否認する。2は不知。3のうち三省薬品株式会社が不渡手形を出し支払を停止したことは不知。その余は否認する。4のうち契約の点は認めるも善意については否認する。

(三)のうち本件建物が亡義郎から現在被告竹林に譲渡されていて被告竹林がその取得に際し否認の原因を知らなかつたことは認める。価格の点は争う。

(主張)

一、本件建物につきなされた第一の登記は次のように有効である。

(一)  亡榊原義郎は別紙債権目録記載のとおり昭和二九年一一月二三日から同三〇年一月一九日迄の間に合計金一六七五、〇〇〇円を安来と訴外三省薬品株式会社に連帯債務者として貸付けた。

(二)  亡義郎は安来との間に、昭和三〇年一月二一日右貸金合計額を目的として、弁済期を同年二月二〇日、利息年一割五分毎月末日払、期限後損害金は日歩八銭二厘とする約旨の下に準消費貸借契約を結んだ。しかしその当時貸金合計額が確認できなかつたので一応上叙合計額を金二〇〇万円と見つもり、これを債権額として、本件建物に抵当権を設定し、同時に右期限に弁済しないときは代物弁済として本件建物の所有権を取得できる旨の代物弁済の予約並びに右建物に存続期間を三年、賃料を二、〇〇〇円とする賃貸借契約を締結し、安来の承諾を得てその協力のもとに即日第一の各登記を経由したものであり、右登記は真正になされたものである。

二、原告の予備的請求に対し

被告竹林が本件建物の取得に際し否認の原因を知つていなかつたことは認める。

亡榊原義郎は前示契約を安来との間に締結した当時破産債権者を害すべき事実は全く知つていなかつたものである。又代物弁済の予約は破産法第七二条第一号の債権者を害する行為とはいえない。仮に原告の予備的請求が認められるとしても亡榊原義郎の相続財産はその相続人等に於て限定相続されたものであるから相続財産の限度に於て支払の責任があるにとどまる。

第五、被告竹林の主張

一、被告榊原の原告の主たる請求原因に対する陳述を援用するほか、前項一の(二)の次に左記の主張を付加する。

(三) ところで安来は亡榊原に対する前示準消費貸借債務中金一〇万円を弁済したのみで残金については期限が到来するも支払わないので亡義郎は安来に対し前示代物弁済予約完結権に基き昭和三〇年二月末から同年三月初頃右残債権に対する代物弁済として本件建物の所有権を取得する旨の意思表示をした。

(四) よつて亡義郎は右建物の所有権を取得したのであるが昭和三〇年三月一日これを訴外中村英二に売渡した。

(五) 被告竹林は昭和三〇年三月二〇日右中村より右建物を買受けその所有権を取得したものであるが、登記に伴う諸課税、費用の軽減を計るため、安来、亡義郎、中村、被告竹林の間に於て合意の上前述のような所有権取得の経緯であるけれども中間の登記を省略する趣旨で便宜第二の各登記を経由したものであつて、その権利変動の経過は登記面とは一致していないけれども現所有者が被告竹林である点に於ては登記面と合致しているのであるから第二の登記は有効である。

第六、被告会社、被告岩谷、中西、菊本、武井、佐藤、若林の各主張

原告主張の主たる請求原因(六)の占有事実は認める。

しかしながら

一、本件建物は被告竹林の所有に属するものでありその理由とするところは前項に於ける被告竹林の主張を援用する。

二、而して被告会社は昭和三〇年一一月三〇日被告竹林から右建物を賃借し、社員寮としてその社員たる被告岩谷外五名に居住せしめているものである。

第七、証拠

一、原告

甲第一ないし第二九号証(第一一号証は一ないし三、第一三、第一四号証は各一、二)を提出し、甲第二、第三号証の安来名下の印影は真正であるが田代に於て右各文書は偽造されたものであり、甲第五号証の安来の署名捺印は真正になされたものであるけれども受任者、委任事項の記入は同人に於てなしたものではないと説明し、証人安来広一(第一、二回)の証言、鑑定人椎橋信治の鑑定の結果を援用し、乙第一、第二、第四号証の各一については表面に記載ある名宛人部分が誰により記載されたものであるかは知らないがその余の部分の成立は認める。乙第七、第八号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認める。丙第一号証中登記官署作成部分の成立及び安来名下の印影が真正であることは認めるがその余の部分の成立は否認する。丙第二号証、丙第三号証の一、二、丁第一号証の成立は不知。

二、被告榊原

乙第一、第二、第四、第五号証の各一、二、乙第三、第六、第七、第八号証を提出し、乙第五号証の一、二の作成者は訴外鈴木繁であると附陳。

証人田代誠助、同中村英二の各証言を援用。

甲号証中、第九、第一〇、第二〇号証並びに第一三、第一四号証の各一の成立は不知、甲第二、第三、第五号証についての原告の説明は争う。上記各証は作成名義人に於て何れも真正に作成されたものである。その余の甲号各証の成立は認める。

三、被告竹林

丙第一、第二号証、第三号証の一、二を提出。

甲号各証についての認否は被告榊原の認否と同様である。なお甲第一一号証の二は援用する。

四、被告会社、被告岩谷、中西、菊本、武井、佐藤、

若林丁第一号証を提出。

証人田代誠助、同中村英二の各証言、被告竹林為助本人の供述を援用する。

甲号各証についての認否被告榊原の認否と同様である。なお甲第一一号証の二を援用する。

理由

一、安来が東京地方裁判所昭和三一年(フ)第三六九号破産申立事件に於て昭和三一年五月二二日破産の決定を受け原告がその破産管財人に選任されたことについては当事者間に争がない。

二、本件建物がもと安来の所有に係り、右建物には第一、第二の各登記が経由されていることは当事者間に争がないい。

三、先ず第一の各登記が有効であるか否かを判断するために如何なる経緯で右登記がなされたものであるかについて調べてみる。成立に争のない甲第一号証、甲第一一号証の一、二(別件安来の供述調書)甲第一二号証、甲第一三、第一四号証の各二甲第一五号証、証人安来の証言(第二回)(以下単に安来証言という。他の証言もこれに準ずる)により成立の認められる甲第九、第一〇号証、甲第一三、第一四号証の各一安来の印影が真正であることについては争がないがその成立については争のある甲第二、第三号証の存在、表面の名宛人部分を除き成立に争のない乙第一、第二、第四号証の各一、成立に争のない上記各証の各二、裏面中榊原義郎、八木清兵衛作成部分を除き成立に争のない乙第三号証(上記乙号証中成立につき争のない部分を除いてはそれぞれその記名が当該人の意思によつて記載されたものであることは安来証言(第一回)、田代証言により推認できる。)成立に争のない乙第五号証の一、二、登記官署作成部分の成立及び安来名下の印影の真正であることについて争のない丙第一号証の存在、安来証言(第一、第二回)、田代証言の各一部、中村証言を綜合すると、次の事実が認められる。「安来は薬品類の売買を業とする訴外三省薬品株式会社の代表取締役であつて本件建物を右会社店舗に提供して事業を経営していたが、右会社は昭和二九年一〇月頃から漸次運営資金に窮するようになり安来が債権者に個人保証を行うことによりどうにか苦境を切り抜いていた。他方亡榊原義郎と訴外田代誠助は共同で八州不動産の商号で金融、不動産売買業を営み、その経営については各自業務を執行し旦対外的には各自自己の名に於て営業上の諸行為をなす権限を有していたものであるが、その頃から三省薬品は安来個人の連帯債務又は連帯保証のもとに八州不動産からしばしば小口の金融を仰いでいた。そしてその貸付は多くは田代名義でなされたが時によつては義郎名義でもなされ、(この点安来に於ても別に異議はなかつた。)その額は合計すると翌昭和三〇年一月一九日現在に於て金二二一万円に達していた。(その内訳は別紙債権目録記載の各貸付金のほかに、昭和二九年一二月三〇日貸付五三五、〇〇〇円弁済期昭和三〇年一月二〇日が加わる。乙第五号証の二、甲第一一号証の二参照)三省薬品の資金状況は昭和三〇年に入つてからは益々悪化の度が加わり、その日その日の手形の決済に追われていたが遂に昭和三〇年一月一七日に至り同会社振出にかゝる同日呈示のあつた約束手約束手形はすべて不渡になるという事態が生じた。そこで安来は不渡による取引停止処分を受ければ万事休する結果となるので該手形を買戻す資金を入手するため同月二〇日頃八州不動産の田代に相談し、本件建物を担保に供することにより新たに金二〇〇万円の融資をしてほしいと懇請した。これに対し八州不動産の田代と義郎は一月一七日三省薬品から交付を受けた額面一五万円の小切手(乙第三号証)を同月一九日呈示したところ支払を拒絶されるに及び三省薬品の事態容易ならざるを察知しこの際に於ては何を差し置いても従前の貸付金債権(無担保で貸出してあつた)の回収を確保しなければならないと考えていたので安来に対し前示融資の申入に応ずる旨申述べて、右建物に抵当権を設定するためと称して、印鑑証明書(甲第一号証)権利書、印鑑を交付せしめて、後記登記手続をするに要する委任状(甲第二、第三号証)を田代に於て作成しし、ここにおいて義郎と安来を無権限で代理する田代との間に八州不動産の三省薬品に対する貸付金中合計二〇〇万円についての安来の連帯債務(一部は連帯保証債務)について、債権者を全て義郎名義に改めて、昭和三〇年一月二一日、弁済期を同年二月二〇日、利息年一割五分毎月末日払、期限後損害金を日歩八銭二厘とする準消費貸借契約を結び併せて右債権を担保するため本件建物に抵当権を設定し、同時に、右期限に弁済できないときは代物弁済としてその所有権を取得できる旨の代物弁済の予約並びに右建物の担保価値を確保するために、右建物に存続期間を三年、賃料を二、〇〇〇円とする賃貸借契約を締結し、同日右建物に右契約に符合する第一の各登記を経由した。安来は同月二三日に至り漸く自己の意思に反して前示各契約並びに第一の各登記が経由されたことに気付いたが時すでに遅く、三省薬品は倒産に陥つてしまつていたので不本意ながらその頃義郎に対し、右の各契約並びに第一の各登記手続をなしたことを追認したこと。」

以上の通り認められるのであつて、安来証言(第一、第二回)田代証言中には右認定に反する部分があるけれどもその部分は信用できず他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の経緯に徴すれば、第一の各登記は登記義務者たる安来の意思に基かないでなされた手続上の瑕疵があり、実体関係に於ても無権代理人によつてなされたという点に於て実体的権利変動を生ずるには至らなかつたものであるが前示追認により右手続上の瑕疵も治癒されると同時に実体的権利変動もその効力を生ずるに至つたものと見ることができる。(もつとも追認の主張は被告等から明かには提起されていないけれども弁論の全趣旨から見て右主張をするものと解する。)

なお原告は本件建物の昭和三〇年一月当時の価格は金四〇〇万円を相当とするから前示代物弁済の予約は公序良俗に反し無効であると主張するけれども、鑑定人椎橋信治の鑑定の結果によれば本件建物の昭和三〇年当時の価格は、金六六九、〇〇〇円(借地権価格でも金三〇九六、八〇〇円)を以て相当とすると認められるから前示債権額と対比して考えても公序良俗に反するものとはいえないし前示認定の経緯から見ても特に債務者の窮迫に乗じた暴利的行為ともいえないので右主張は採用できない。

以上の次第であるから第一の各登記は有効に存するものというべきであるから原告が被告榊原に対して右各登記の抹消を求める請求は理由がない。

四、次に第二の各登記に対し原告がその抹消請求権を有するか否かの点について考える。

原告は先ず第一の各登記が無効であることを理由として第二の各登記は無効であると主張するが前項説示の如く第一の各登記は有効に存するのであつて右主張は理由がない。

そこで次に第二の各登記は如何なる経緯でなされたものであるか否かについて考察する。

成立に争のない甲第四号証、安来の署名捺印が真正になされたことについて争がなく、該文書の記載自体と安来証言(第一、二回)中村証言、田代証言により、日附の点は安来の自筆であり、受任者、委任事項は安来の委任により、第三者に於て記入したものと認められる甲第五号証、前出丙第一号証、中村証言と被告竹林本人の供述により成立の認められる丙第二号証、丙第三号証の一、二に安来証言(第一、第二回)、中村証言、田代証言の各一部、被告竹林本人の供述を綜合すると次の事実を認めることができる。「八州不動産の田代、榊原の両名は前項認定の経緯で本件建物の代物弁済予約上の権利を取得したのであるが、昭和三〇年二月二〇日の弁済期が経過するも債務全額の履行がないのでその買手を探し知人の不動産周旋業者訴外中村英二にもそれを依頼していた。たまたま中村はその頃被告竹林から本件建物を買いたいという申込を受けた。中村としては中間利益を獲得するため一旦自己が買受けた上更に被告竹林に転売する方針を採り、この方針の下に田代、榊原義郎、安来、被告竹林、更には地主の訴外戸田組(本件建物の敷地は戸田組の所有で安来が賃借していたもの)と交渉を進め、昭和三〇年三月頃(日は明確ではないが)義郎、安来、中村との間に次の(イ)、(ロ)、(ハ)についての話合いが成立した。

(イ)義郎は安来に対し本件建物につき代物弁済の予約完結の意思表示をする。安来は敷地借地権を義郎に譲渡する。(ロ)義郎は本件建物及びその敷地借地権を中村に売渡す。(この代金及びその支払方法は明かならず)明渡し及び登記手続をするに必要な書類の引渡は代金完済と同時とする。(ハ)中村が更にこれを被告竹林に売却することを了承し、右所有権移転の登記手続については登記に伴う諸課税費用の軽減を計るため中間の登記を省略する趣旨で便宜第二の各登記の如き手続を経由することにより被告竹林名義にする。

そして中村は同年三月二〇日正式に被告竹林との間に、代金金二五〇万円(手附金として金五〇万円)。所有権取得登記の方法は前段(ハ)の方法による。中村は前所有者安来を立退した上本件建物及びその敷地を引渡す。中村は本契約日より一五日以内に右の手続を完了することを要し、被告竹林はこれと引換に中村に対し残代金二〇〇万円を支払うことの約旨の下に本件建物及びその敷地借地権を売渡す旨の契約を結び同日手附金として中村は同被告より金五〇万円を受領した。(丙第三号証の一に三月二日附とあるのは三月二〇日附の誤記と認める。)

被告竹林は同年三月二五日残代金二〇〇万円を被告中村に交付したので中村は、義郎に対する買受代金を同日完済し、義郎から第二の各登記をするについて必要なる一切の書類(甲第五号証もこのうちに含まれている。前示話合いに基き同年三月一六日安来において第二の各登記手続をするに必要な事項を記入することを了承して日附並びに自己の署名捺印をした上義郎又は田代に交付したものと認められる。)の交付を受けた上、同日第二の各登記手続を経由し、且同日本件建物及びその敷地から安来を立退かしめてこれを被告竹林に引渡した。」

以上の通り認められるのであつて、安来証言(第一、第二回)田代証言、中村証言中右認定にていしよくする部分は信用できない。なお、乙第七号証、乙第八号証は後日に至り遡つて作成されたものではないかとの疑があるので前段認定の資料には挙げなかつたが、特にこれを挙げなくともその余の証拠(前に掲げた)により前段認定に到達するに充分である。原告はなお甲第二四乃至第二九号証を提出して丙第二号証には被告竹林の住所を東京都葛飾区下小松町七四四番地と記載してあるがその作成日付である昭和三〇年三月二〇日当時には右場所に同被告の住所はないから後日の作成であることは明であると主張するけれども成程成立に争のない甲第二四号証では被告竹林が右住所に住民登録をしたのは同年同月二八日となつているけれども被告竹林の供述によれば同被告は同年二月頃上京し本件契約当時右住所に居住していたことが認められ、現実に転入してから後、暫らくしてから住民登録の手続をするのは必しもまれなこととは云えないので前記各証によるも丙第二号証が後日作成されたものということはできない。

原告は第二の各登記が中間登記を省略する趣旨のもとに便宜なされたものとしても、義郎が代物弁済予約完結権を行使したことによる法律効果として債権、抵当権、代物弁済上の権利は何れも消滅したものというべきであるから義郎から被告竹林に債権、抵当権並びに代物弁済の予約上の権利の譲渡がなされたものとして経由ざれた第二の各登記は何れも既に消滅した権利が存続するものとしてなされたものであつて実体関係に符合せず無効であると主張するけれども、第二の各登記が経由された経緯は前段認定の通りであつて権利変動の過程やその年月日は事実と一致していないけれども権利変動の到達点たる現在の権利状態は被告竹林が本件建物の所有権を取得した者である点に於て実体関係に一致するものであるから別紙物件目録第二の(ロ)、(ハ)の各登記は有効である。次に同目録(イ)の抵当権取得登記であるがこれはなるほど現在の権利状態と一致するものではない。しかし原告は安来が既に本件建物の所有権者たる地位を喪失している現在においては右登記の抹消を求める権利も利益もないものといわざるをえない。従つてこの点の原告の主張は理由がない。

次に原告は、第二の各登記は別紙物件目録第二の(イ)、(ロ)の各登記では被告竹林が義郎から抵当権並びに所有権移転仮登記の請求権を譲受けたのは昭和三〇年三月二五日である旨掲記されているのに同目録(ハ)の被告竹林のための所有権取得登記では同年同月一五日代物弁済による旨掲記されていて日時の点で矛盾する旨主張する。案ずるに、日時の点で矛盾することは原告指摘の通りであるが実質関係においてはかゝることはありえないので登記原因の日附の点の過誤に出たものと認められるから更正登記で更正すれば足り、登記全体の無効を来すことはないと考える。

以上の次第であるから第二の各登記の抹消を求める原告の請求は理由を欠くものといわざるをえない。

五、次に原告の被告会社、被告岩谷、中西、菊本、武井、佐藤、若林に対する請求について案ずるにこの請求は何れも原告が本件建物につき所有権を有することを前提とするものであるところ、前項で判示したとおり原告は右建物の所有権を遅くとも昭和三〇年三月二五日以降失つたのであるから既にこの点に於て原告の請求は理由を欠くものといわざるをえない。

六、そこで更に進んで原告の被告榊原に対する予備的請求について判断する。

(一)  原告が予備的請求原因の(一)に於て主張する否認権行使の事実は訴訟上明かなところである。

(二)  前出甲第九号証、甲第一〇号証、甲第一一号証の一、二、甲第一三、一四号証の各一、二、甲第一五号証、成立に争のない甲第一六号証ないし第一九号証、前出乙第三号証、乙第五号証の一、二に安来証言(第一、第二回)を綜合すると、

イ、訴外三省薬品株式会社は昭和二九年一〇月頃から資金難に陥りその頃から業界の警戒気運が濃厚となり仕入商品の入荷が段々と激減し、安来の債権者に対する個人保証を行うことによりどうにかその苦境を切り抜いていた。しかしながら同会社は昭和三〇年一月一七日に至り遂に不渡手形を出し同月二〇日頃支払停止をなすに至つた。同会社の当時の資金状況は資本金金一五〇万円、負債金五〇、四六〇、〇〇〇円資産金一二、八六四、〇〇〇円で巨額の債務超過であつた。

ロ、安来は前叙の関係で同会社のために負担した債務が多額にあり八州不動産に対する金二二一万円のほかに被告会社に対しては、金四、八八六、一六一円の約束手形金債務(異議あるものを除いて計算)訴外株式会社船越龍商店に対しては金一、三六一、七六二円の約束手形金債務、訴外有限会社ミヨシ薬品商店に対しては金七三四、六八九円の約束手形金債務を負担していた。而して安来は本件建物の他に不動産を有せず他に何ら見るべき資産を有していなかつたので到底安来の全財産を以つてするも之が弁済をなすことが出来ず三省薬品が経済的に破綻すれば直に安来個人にも波及し同人も又破綻するという不可分の関係にあつたところ前叙の如く三省薬品は昭和三〇年一月一七日遂に不渡手形を出し同月二〇日頃支払停止をするに至つたので安来も同様その頃支払停止のやむなきに至つた。

各事実を認めることができ右認定を左右するに足る証拠はない。さて以上の如き状況下に於て先に三項で判示したように本件代物弁済の予約、抵当権、賃借権の設定が行われたのであるが右一連の各行為は他の多数の債権者に先がけて一部の債権者に過ぎない義郎に於てのみ債務者安来の唯一の不動産であり主要な資産である本件建物を独占して確保し以て債権の回収を計らんとするものであり反面他の債権者に於てはその一般担保たる本件建物を弁済に用いることができなくなるのであるから客観的に見て債権者を害することは明白である。(代物弁済の予約について被告榊原は債権者を害することにならないと主張するが右予約がなされると債権者の一方的完結の意思表示により債務者は所有権を喪失することになるのであるから予約の締結自体債権者の一般担保を減少せしめる行為と見て差つかえない。又かく解さないと完結の意思表示は債務者の行為ではないので代物弁済は否認の対象にならないという不合理な結果となる。)さて次に安来が債権者を害することを知りながら前示各契約の追認をなしたものであるか否かの点について考えるに、前記三項において認定したように本件の場合に於ては安来は、義郎と通謀して追認したものでなく不本意ながら追認をなしたものと認められるけれども、債務をその本旨に従い履行する場合は格別本件の場合は債務者に於て必しもそれに応ずる義務はないのであるし、右行為自体他の債権者を害することになることは通常予測できることであるので安来に於ても破産債権者を害することを知つてこれをなしたものと推認することができる。安来証言(第一、二回)中これに副わない部分は信用できない。

被告榊原は、義郎は、当時破産債権者を害すべき事実は知らなかつたものである旨主張するが田代証言中これに副う部分はたやすく信用し難く、前記三項で判示した経緯からもむしろ義郎においては当時右事実を知りながら自己の債権を先づ以て確保せんとする意思を有していたことが窺われるので右主張は採り難い。

以上の次第であるから破産法第七二条一号による本件否認権の行使は義郎に対する関係(従つてその相続財産管理人たる被告榊原に対し)に於ては理由がある。

そして本件建物は現に被告竹林の所有に帰していること前に示したところであるので、原告は被告榊原に対しては現物の返還を求めることができないのでこれに代え金銭で賠償を求めるというのはもつともであるので次にその賠償額について案ずるに、椎橋鑑定人の鑑定の結果によると昭和三〇年当時に於ける本件建物の価格は金六六九、〇〇〇円、その敷地借地権の価格は金三、〇九六、八〇〇円を以て相当とすることが認められる。(この点に関する安来証言(第一回)は的確なものとはいえない。)

ところで本件建物の価格に借地権価格を含めるのは妥当ではないと考える。けだし借地権の処分は本件では否認の対象になつていないからである。

原告は右価格は当該財産の現在に於ける価格を賠償すべきであると主張する。しかし否認の効果は、遡つて否認権の目的たる行為の効果がなかつたことになるのであるから本件の場合のように所有権価格の賠償を求める場合に於ては破産者が前示行為に因り本件建物の所有権を喪失した(いいかえれば前示行為が無効の場合に於て受益者たる義郎に返還義務の生じた)時の価格に法定利息を附してこれを返還すべきものと考える。(原告は現在の価格の賠償を求めながらこれに対し昭和三〇年三月二五日以降の利息の支払を附加して求めているのは主張自体矛盾しているように思われる。しかも本件建物の現在価格を認むべき的確な資料は何ら提出されていないし、現在は昭和三〇年三月頃に比し不動産の価格は一般に五割の騰貴を見ている旨の主張も建物については顕著なものといえない。むしろ前記鑑定の結果によれば本件建物は相当古い建物で償却の関係で年々価格が低下していることが窺われる。)

されば原告の予備的請求は、義郎において代物弁済の予約完結権を行使した当時の本件建物の価格たる金六六九、〇〇〇円とその後である昭和三〇年三月二五日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める範囲に於て正当であるがその余の部分の請求は理由がない。

ところで被告榊原は、仮に原告の予備的請求が認められるとしても、亡義郎の相続財産はその相続人等に於て限定相続されたものであるから相続財産の限度に於て支払の責任があるにとどまるものであると主張し、右限定相続をした事実は訴訟上明かであるから右主張は理由がある。よつて原告の予備的請求は結局右の限度に於て正当というべきであるのでこの範囲で認容すべきであるがその余の請求は失当として棄却すべきである。

七、結論。

これを要するに原告の被告等に対する主たる請求は何れも棄却すべく、予備的請求については、被告榊原に対し金六六九、〇〇〇円とこれに対する昭和三〇年三月二五日以降完済迄年五分の金員を榊原義郎からその相続人等が相続した財産の存する限度に於て支払を求める範囲に於て認容すべくその余は棄却すべく、訴訟費用の負担につき原告と被告榊原との間に生じたものについては民事訴訟法第八九条を適用し、原告とその余の被告との間に生じたものについては同法第八九条、第九三条を適用し、仮執行の負担につき同法第一九六条第一項を適用して主文のように判決する。

(裁判官 水谷富茂人)

物件目録

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東京都中央区日本橋茅場町二丁目十六番地

家屋番号同町十六番の十

木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一八坪五合

登記事項

第一、

(イ) 東京法務局 昭和三〇年一月二一日受附第五一五号を以てなされた榊原義郎のための同日抵当権設定契約による債権額二〇〇万円、弁済期昭和三〇年二月二〇日利息年一割五分、同支払期毎月末日払、特約として期限後の損害金は一〇〇円につき一日八銭二厘の割合を以て支払うことの抵当権設定登記

(ロ) 同局 同日受附第五一六号を以てなされた榊原義郎のための同日契約により右債務を期限に弁済しないときは代物弁済として所有権移転すべき請求権保全の仮登記

(ハ) 同局 同日受附第五一七号を以てなされた榊原義郎のための同日賃貸借契約により賃借権の範囲を存続期間契約の日より満三ケ年、賃料一ケ月金二、〇〇〇円、賃料支払時期毎月末日、賃借権の譲渡及び賃借物の転貸をなしうる特約ある賃借権設定登記

第二、

(イ) 東京法務局昭和三〇年三月二五日受附第三五〇一号を以てなされた同年同月同日の債権、抵当権譲渡による被告竹林のための抵当権取得の附記登記

(ロ) 同局同年同月同日受附第三五〇二号を以てなされた同年同月同日の債権抵当権譲渡による被告竹林のための所有権移転仮登記の請求権の取得の附記登記

(ハ) 同局同年同月同日受附第三五〇三号を以てなされた同年同月一五日代物弁済による被告竹林のための所有権取得登記

債権目録

貸付月日        金額    弁済期

昭和 年 月 日          昭和 年 月 日

29・11・23   二五〇、〇〇〇   30・1・21

29・12・30   三一五、〇〇〇   30・1・31

〃      一五〇、〇〇〇   30・1・17

〃       五二、〇〇〇    〃

〃       三一、六七五    〃

〃       一六、三三五   30・1・18

30・1・17   三七〇、〇〇〇   30・2・16

30・1・19   三九〇、〇〇〇   30・2・20

合計     一、六七五、〇〇〇

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